この研究で学んだこと

 私はこの論文を作成する間に、たくさんの本を読み、実に多くの人達(主として在日の人達)と話を聞く機会を持つことができた。
 その中で日本に渡ってきた韓国・朝鮮の人達は、本国での生活苦のあまり、職を求めてきた人達であること、しかしよい仕事などあるはずもなく、日本人がいやがる仕事をしながら最低限の生活を余儀なくされてきたことを学んだ。
 確かにお金を儲けることが目的であったにしてもその犠牲はあまりにも大きかったと言わざるを得ない。 
 私達留学生のように事前に言葉の勉強をしてきたわけではなく、いきなり言葉の通じないところに放りだされ一日一日を生き延びなければならなかった心情を思うと胸が痛くなる。しかしその中でもこつこつと努力を重ね生き延びてきた多くの人がいることも知った。
 コリアタウンにはそのような人達が多くいてインタービューも直接することができた。
 さらに猪飼野にゆかりのある文化人と言われる多くの人達とも今回のことでお会いすることができ、様々な話を聴くことができたことは私にとってこの上ない喜びであった。と同時の在日の人達の努力をみて、韓国人の私は誇らしい気持ちさえ持つことができた。
 こうした在日の人達の歴史はぜひとも、日本人にも韓国人にも学んでもらいたい。そのために今回の論文の中でフィールドワークとしてゆかりの地をめぐるコースを設定してみた。特に大阪に観光にきた本国の韓国の人達に知ってもらいたいと思っている。
 在日韓国人にとって、自分達が日本人から理解されないことは悲しいことである。しかしもっと悲しいことは本国である韓国の人達から理解されないことである。
 在日の人達は一時は祖国から忘れられた存在であった。ソウルオリンピックの頃よりようやく振り返られるようになり今では多くの人がその存在を知るようになった。しかしまだまだ十分に理解されているとは言い難い。こんな話を聞いたことがある。ある在日の人が久しぶりに祖国韓国に里帰りすることとなった。久しぶりに親戚の人達に出会うわけであるから、それ程豊かでない生活の中でも見栄えのよい服を着、たくさんのおみやげを持って行った。そして日本での苦しかった過去は語らずよいことを並べ立てる。そうなると当然韓国の親戚は里帰りした人を日本で金儲けをし、豊かに暮らしているものと錯覚する。そこで物質的、金銭的な要求をする場合がある。しかし実際にはその要求に応えることなどできない。そうなると同胞でありながら情の薄い人間と思いやはり日本に行ってしまった人間はこうなのだと錯覚する。お互いに不幸なことである。
 言葉の問題もそうである。一般に在日の人達の中で韓国語を習得している人は少ない。在日の人達が母国を訪問した際、ショックを受けるのは言葉のことだと聞いたことがある。苦労して憶えた韓国語を使うと韓国人なのにどうしてそんなに下手なのかと言われる。しかしこれは残酷な問いかけである。在日の人達が日本で生活するのに韓国語は必要ではなかった。必要でなかったと言うよりもむしろ有害であった。韓国人であることを隠すことが生きる術であった。だから親も子どもに母国の言葉を教えなかった。このようなことを多くの韓国人は知らない。
 私は論文作成にあたり韓国人にも日本人にも在日の歴史や立場を知ってもらいたいとさらに強く思うようになった。そしてこの猪飼野はまさにその学習の場だと感じた。何と言っても韓国と日本は歴史を共有する国同士であり、切っても切れない間柄である。両国が国際社会の中で協力し合い、友情で結ばれる関係が築けるよう私も可能な限り微力を尽くしたい。