現地の取材にあたって


この血と骨の上映会をするにあたり多くの人に話を聞いてもらった。
それによると実際の街や人物と映画の中の状況はかなり食い違っており、映画制作にあたって協力的であった住民たちはイメージタウンに対して不満の声も高い。
もちろん映画だからシナリオによっていくらでも色付けすることができるので大衆に対して大きな影響力をあたえる。さらにそれが、特定の場所が舞台になったときはもっと大きいでしょう。
映画というものは自分の知らないことについて偏見や差別心をうえつけることもできる。
幼なじみの話によると実際には作家がこの街に住み始めたのは10歳ごろ(1945年末)であり、李英姫が俊平に犯されたという家はここではないと住民達は主張している。調べてみたら確かに母は玉造あたりで飲み屋をやっていたということがわかった。映画の中では舞台作りの難しさか同じ場所として捉えている。
一方東成区では松下幸之助は勿論作家梁石日もこの町で生まれた有名人であるからこれをもっとアピールして東成区の町興しにしたいという思惑を持っているようだ。
住民の気持ちとしては恥ずかしいというマイナスとイメージもあるが作家を肯定的に評価し町興しに有効的に活用したいと考える人も多い。