2006-01-01から1年間の記事一覧

一つの現地風景

現地の取材にあたって

この血と骨の上映会をするにあたり多くの人に話を聞いてもらった。 それによると実際の街や人物と映画の中の状況はかなり食い違っており、映画制作にあたって協力的であった住民たちはイメージタウンに対して不満の声も高い。 もちろん映画だからシナリオに…

この研究で学んだこと

私はこの論文を作成する間に、たくさんの本を読み、実に多くの人達(主として在日の人達)と話を聞く機会を持つことができた。 その中で日本に渡ってきた韓国・朝鮮の人達は、本国での生活苦のあまり、職を求めてきた人達であること、しかしよい仕事などある…

参考文献・引用文献

『ふれあいのまち大阪・在日外国人とともに生きる』大阪市人権 推進協議会発行 『“歴史・人権・共生のまち”東成・生野ウォーク』大阪市教職員組合東部支部発行 「古代ロマン『摂津百済郡』探検!」塩川慶子著・御幸通り東商店街振興組合発行・平成14年(二〇…

これからの計画

私は大学で様々なことを学ぶことができました。このまま勉強を終えるのは惜しいと思います。引き続き勉強を続けるために研究生として残りたいと思っています。 研究の大きなテーマは「日韓国際観光交流」です。様々な問題があるにしても日本と韓国は切り離す…

⑯ ガソリンスタンド

・ ・

⑮ 鶴橋斎場基地の中の力士の墓の碑

⑭ ハングル塾つるはし

猪飼野朝鮮図書資料室 大阪市天王寺区味原第一ビルハングルを普及し親善を図る非営利団体で1977年小坂で開塾した。1980年現在の場所に移転し現在まで28年の歴史を持っている。【名称の変遷】 ・ 猪飼野朝鮮図書資料室 ↓ ・ いかいの朝鮮・韓国塾 ↓ ◑ ハング…

⑬ 猪飼野橋

今里筋・近鉄ガード南側の交差点に「猪飼野橋」の大きな標識が上がっている。この橋は、東南から西北に向けて流れ下ってきた西ノ川に対して、南北道路の今里筋が斜交いに跨ぐ地点に架けられたもので、架橋年代昭和六年三月である。昭和四十四年三月、西ノ川の…

⑫ 大池橋(国旗掲揚台)

・・ ・・ ・・ ・・

⑪ 猪飼野保存会

大阪市生野区桃谷3−18−32 猪飼野保存会は地元青年団体でである猪飼野若中会では、この由緒ある地名を何らかの形でこの由緒ある地名、猪飼野の呼称 を保存しようとの主旨により、昭和四十九年猪飼野保存会と改称、昭和六十二年に猪飼野保存会館が新しく建設さ…

⑩ 旧地名 松下幸之助起業の地顕彰碑

・旧地名・大阪市東成郡鶴橋町大字猪飼野1399・1400番地 ・現地名・大阪市東成区玉津二丁目7および14 東成区・生野区(旧・猪飼野) は古代から先進的技術者の集まった土地で、この地の『もの作り文化』は現代にいたるまで数々の独創的な企業を生み、大阪の…

⑨ 旧町名継承碑(猪飼野東)

大阪府大阪市生野区中川西2丁 中川西公園にある。 「猪飼野東1〜10丁目」と呼ばれていた地域の、明治以前から現在までの地名の移り変わりが説明されている。

⑧ 猪飼野橋バス停留場

今は埋め立てられた西の川にかけられた「猪飼野橋」は「猪飼野橋バス停留場」といった市バスの停留所の名として残っている。 「橋のない川」ならぬ「川のない橋」でありこれも興味深い。

⑦ イカイノ保育園

大阪市生野区中川西2丁目6 市バス「猪飼野橋」の一つ南の停留所である。猪飼野の名が行政上消えた後につくられた保育園であり、つくった人のこの名前への思い入れが感じられる。機会があれば詳しく聞かせてもらいたいものである。

⑥ 猪飼野明治牛乳配達

大阪市生野区中川西1丁目2-1(06-6741-5435) ここは個人経営の牛乳販売所であり、古くからこの名前が使われている。経営者が変わってもこの名前を引き継いでもらいたいものである。

⑤ 関西電力猪飼野変電所

大阪市東成区大今里西2−14 大成地域集会所の北側にある。 生野ではとっくに猪飼野の町名が無くなっているのにこんな所に猪飼野が残っていたという一例である。

④ 御幸森神社(桃谷3丁目10番)

JR桃谷駅から東へ歩いて約10分のところにある御幸通商店街の西の入り口にある神社。 玉垣に在日朝鮮人の本名が刻まれているのも、いかにも猪飼野の神社なのだが、御幸通商店街に面した入り口は、猪飼野青年団の大きな石柱が何本も建つ垣になっている。

③ 猪飼野新橋(鶴橋5丁目20番)

平野川大改修によって新しくつくられた平野川に戦後の1948年に建設された橋である。 現在の「猪飼野新橋」は1987年に再建されたものであるが、親柱 は前方後円墳、欄干支柱は勾玉をデザインしたもので古代の渡来人を象徴するデザインを施している。

② 御幸通商店街内の古い住居表示

桃谷3丁目8−21 1973年に地名変更によってなくなった町名だが現在も外されずに残っている。

① 猪飼野地名変更

この地名は1973年2月1日に町名変更により強制的に消滅した名前である。 しかし、ここは日本の中の韓国・朝鮮と言われるように、朝鮮半島とは極めて深い関わりを持ってきた場所である。 この一帯は古代日本に文化の黎明を持たらした渡来人の住んだところであ…

 鄭 甲寿

鄭 甲寿 1954年大阪市生野区生まれ。(旧猪飼野)。建国高校、立命館大学出身。大学時代は韓国の民主化連動や政治犯釈放連動に携わる。卒業後、「七・四会」のメンバーとして活動。85年、第一回「八・一五〈40〉民族・未来・創造フィスティバル」開催。 以来…

康 秀峰 

康 秀峰 1948年、大阪市、旧猪飼野生まれ。66年大阪朝鮮高級学校卒業。69年書道を学び始める。同年、化粧品販売会社を設立するが、72年同社社長を辞し、生野区で秀峰書道教室を開講。高麗書道連盟 を設立し、同連盟会長に就任。92年コリア文化ホール開設。94…

鄭 貴美

鄭 貴美 1957年、大阪市生まれ。看護専門学校時に在日韓国青年同盟に加入。看護婦として就職後、任族学級講師兼任。93年「ウリソダン」開設。99年、大阪市高齢者総合相談情報センター相談員に任命。01年に街かどデイハウス「さらんばん」、02年に「あんぱん…

 マルセ太郎(金原正周)

マルセ太郎(金原正周) 1933年、大阪猪飼野生まれ。府立高津高校卒業後、俳優を志し上京するも挫折。56年、日劇ミュージックホールでパントマイマーとしてデビュー。84年映画を一本語りきる映画再現会「スクリーンのない映画館」が各界から賞賛される。「マ…

梁 石日

梁 石日 1936年、大阪生まれ。29歳のとき事業に失敗し莫大な負債を抱える。各地を放浪。さまざまな職を経て、タクシードライバーを10年務める。90年大16回青丘文化賞受賞、95年、直木賞候補。小説『夜の河を渡れ』『断層海流』『雷鳴』『Z』、詩集『夢魔の…

 金 徳煥

金 徳煥 1947年、大阪府布施市(現・東大阪市)生まれ。76年より生野における地域活動に参加、77年、オモニ・ハッキョ開始(主催者の一人)。82年「生野の人権を考える会」を組織、映画「イルム なまえ」を制作、上映運動にあたる。そののち生野民族文化祭実…

 者 奎通

者 奎通 1943年(昭和18年)4才のとき家族と共に渡日、終戦後帰国しようとするも台風や朝鮮戦争のため帰国できず、日本にとどまる。 歌人であり、俳人でもある。月刊誌「KOREA TODAY」には4年前から「在日の詩」欄を執筆。自身の短歌を二首ずつ載せ…

者 智鉉

者 智鉉 1938年、韓国済州島生まれ。フリーカメラマン。1973年、「劇団民藝と瀧澤修の舞台」写真展など。 〈主な著作〉 『部落―者智鉉写真集』(筑摩書房) 『世界』『部落解放』『京都人権ゆかりの地をゆく』などのグラビア写真を担当、その他。

 金 時鐘

金 時鐘 1929年、朝鮮の元山に生まれる。詩人、評論家、日本文芸家協会会員。89年まで神戸大学教養学部総合講座「人権」の非常勤講師を務める。主な著書にエッセイ集『「在日」のはざまで』、詩集『地平線』『日本風土記』、長編詩集『新潟』、詩集『猪飼野…