④ 御幸森神社(桃谷3丁目10番)

sinyoung2006-09-04

JR桃谷駅から東へ歩いて約10分のところにある御幸通商店街の西の入り口にある神社。
玉垣在日朝鮮人の本名が刻まれているのも、いかにも猪飼野の神社なのだが、御幸通商店街に面した入り口は、猪飼野青年団の大きな石柱が何本も建つ垣になっている。

③ 猪飼野新橋(鶴橋5丁目20番)

sinyoung2006-09-03

平野川大改修によって新しくつくられた平野川に戦後の1948年に建設された橋である。
現在の「猪飼野新橋」は1987年に再建されたものであるが、親柱
前方後円墳、欄干支柱は勾玉をデザインしたもので古代の渡来人を象徴するデザインを施している。

① 猪飼野地名変更

この地名は1973年2月1日に町名変更により強制的に消滅した名前である。
しかし、ここは日本の中の韓国・朝鮮と言われるように、朝鮮半島とは極めて深い関わりを持ってきた場所である。
この一帯は古代日本に文化の黎明を持たらした渡来人の住んだところであり猪飼野と言う地名は日本書記に由来したものである。
そして、近代に於いては祖国を離れざるを得なかった人々が着の身着のままで住み着き、蔑視と差別、貧困の中でたくましく生きてきたのがこの猪飼野である。
中にはその暗いイメージのために町名を変更した方がよいと主張する人もいるだろう。
しかし猪飼野に在日韓国・朝鮮人の存在を支えた民族の核があるとすればその名を行政レベルで消し去ることは極めて問題があると思う。
国際化、共生の時代と言われる今日、過去を見つめることができるためにもこの地名は必要だと考える。
行政的にはなくなったとしても、これからもこの地名を使って行きたい。
なお、この地名を残そうとする保存会という組織もあり、実際に幾つかの地名は残されている。
私がこの一帯をまわって次のようなものを発見したので写真と共に紹介したい.