映画「血と骨」の世界
この血と骨の上映会をするにあたり多くの人に話を聞いてもらった。 それによると実際の街や人物と映画の中の状況はかなり食い違っており、映画制作にあたって協力的であった住民たちはイメージタウンに対して不満の声も高い。 もちろん映画だからシナリオに…
この神社は近鉄鶴橋駅から北東の方面に歩いて約5分のところである。ビートたけし主演の「血と骨」はこの近くを舞台とした作品である。この神社は朝鮮神社、渡来系神社の代表的なものとされている。 祭神は赤留比売(アカルヒメ)、スサノオ、仁徳天皇、用命…
(玉一喫茶店前・現BARきのこや付近)「血と骨」の舞台となった市電「大成通一丁目」停留所 (吉村久男氏撮影)市電は昭和2年に開通し、昭和44年4月に廃止され、同年7月、地下鉄千日前線が開通しました。
旧朝鮮町 ここは大阪でもっとも早くできあがったと言われる朝鮮人の部落である、
朝鮮寺(韓寺)の一つである。 在日コリアン、日本人が共にこの寺に参り、祭事を行なっている。 在日社会では宗教儀礼が正しく伝承されていないことから法事などの風俗習慣につ いての指導も行なっている。 住職によれば法事の時に使う紙の位牌の書き方も間…
千日前通りと「陣堂道」が交差する所に昔、停留所があった。
鶴橋本通りにある「参尊寺」さんが映画撮影のために貸し出しされた実物。
市電の車庫跡 市電の車庫があったが現在はバスの車庫として使われている。 玉舟橋〜〜上本町→下味原→鶴橋→大成通り一丁目→大成今里車庫前→今里終点 当時は終点であったためそのあたりが賑やかで映画館も三つあったという 特に今里終点の横にある新橋商店街は…
世界の松下幸之助の創業の地は福島区大開だと言われているがもっともの始まりは東成区大成(旧猪飼野北端)にあったことをこの地で生まれ育ち、この地を愛する住民の一人である故郷史家の足代 健二郎氏によって確定された。 その顕彰碑を建てるために住民の…
(小説のなかでは坂本) 作家の家の二軒隣り。俊平が暴れた時、作家(正雄)が屋根伝いに坂上さん(唯一日本人)に逃げ込んだ。 坂上さんからは当時の様子を詳しく教えてもらった。ただけんかはしょっちゅうあったわけではなく子ども達は仲良く遊んでいたと…
【チコママ提供】昭和49年(1974)撮影 (チコママの息子さん) 左に見える建物が備前屋 1997年頃まであったらしい? 備前屋はいつも賑やかだったのてうどんをたべてから横にあるチコ喫茶店でコーヒーを飲みにくる人も多かったという。
前の通りは千日前通り。昔は市電が走っていたが昭和44年(1969)廃止された。
当時は備前屋といううどん屋があった。 建物は当時とほとんど変わっていない。
(旧・大成通り1−34) 私の頭の後ろの建物が蒲鉾工場の跡。 2階は従業員達が使っていたという。
今はモータープールになっているが当時は若い人が沢山住んでいたアパートであった。
高村芳典氏の家の前(作家の幼なじみ) 高村氏は作家と同じ高津高校の5年後輩で子どものころは2号さんと3号さんの家の中間にお菓子屋があり作家からよくおごって貰ったという。 又、作家の実家の横には空地があり、よくあそんでいたという。ある日、ゴム銃(…
(作中では金俊平・作家の父) この家で3号と同居。三号さんの間に生まれた子どもを連れて北朝鮮に渡ったと伝えられている。ところが、年老いて病のとこについた俊平はなせ北朝鮮に行ったのでしょうか??
(作中では金俊平・作家の父) この家で日本人の2号と同居。その前に倉庫があった。
左は李英姫旧宅(俊平の妻・作家の母) 「血と骨」の舞台になった作家の実家 (旧・大成通り) その横には倉庫が置かれていた。当時、そのために道が狭くなり地域の人達は困ったという。しかし近所に住んでいた年長者の説得によって倉庫は撤去される。倉庫の…
映画「血と骨」の舞台の近所にある大成小学校の中にある「ガマ」 主人公金俊平は蒲鉾工場を作ったが「蒲鉾」の名前ははこの「ガマ」に由来していると言われる。
この血と骨の上映会をするにあたり多くの人に話を聞いてもらった。 それによると実際の街や人物と映画の中の状況はかなり食い違っており、映画制作にあたって協力的であった住民たちはイメージタウンに対して不満の声も高い。 もちろん映画だからシナリオに…
左は李英姫旧宅(俊平の妻・作家の母) 「血と骨」の舞台になった作家の実家 (旧・大成通り) その横には倉庫が置かれていた。当時、そのために道が狭くなり地域の人達は困ったという。しかし近所に住んでいた年長者の説得によって倉庫は撤去される。倉庫の…